BlueSky24’s diary

高齢出産について書くつもりが流産しちゃった

メンタル落ちる

出かけて

若いお母さんと

子供を見てると

 

うらやましくて

自分の存在意義を考えてしまいます。

なんの為に生きてるんだろ?

旦那さんを お父さんにしてあげられなかった。

両親に、孫を見せてあげられなかった。

子供のいる生活がすべてじゃないと

分かっていたし

分かってて、諦めがつくと思って

子宮摘出手術受けたんですけれど

悔しくて

何もかもが嫌になります。

 

普通なら

年明け頃に母親になれていたはずだった。

ダメでも

流産で、残念。で終われたはず。

それが

胎盤が出ないとか、

出血が多いとか

普通じゃなくて

流産だけでも痛くて悲しいのに

二度と妊娠出来ない体になった。

私、なんで生きてるのかな?

答えを見いだせる日が来るのかな。

 

こんな私みたいな人もいれば

妊娠して困って

生まれた子をロッカーに遺棄するとか

そんなニュース絶えない。

困ったら、もらうよ?

世の中上手くいかないことだらけ。

 

幸せなこと、

探せばいくつもあるんだ、きっと。

結婚出来たし

旦那さんムカつく事もあるけど

優しいと思う。

住んでる環境も悪くない。

妊活始めたの、遅すぎたかな。

悔やんでも戻らないから

なんとか上を向かないといけないけど

今はもう、何もかも疲れちゃった

 

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台風一過で

雲ひとつない

気持ちいい青空なのに

 

 

 

 

 

また入院②2日目

塞栓術をした夜は

点滴で痛みを和らげ、

水飲めないけど、うがいを時々して

(寝たきりで動けないから

ナースに助けてもらわないと出来ない)

カテーテルを入れた右側は

6時間一切動かしちゃだめ!と言われ

寝返りうてず。

普段意識してなかったけど

気付かされた。

足片方動かないだけで

超絶苦しい(;_;)

水が飲めないだけで

超絶苦しい(;_;)

苦しくて、1秒が長い夜でした。

 

朝になり、水が飲むことを許され

お昼からご飯を食べました。

お粥おいしかったー!

 

重い生理痛は、なかなか引かず。

そんな中、主治医の先生とお話して

 

血は止まったけど、永遠の止血ではない。

胎盤が出ないまま

いつ出てくるか分からない。

子宮を取ってしまうのも

根本的な解決としてはいいと思う、と。

私はこれからまた妊娠するつもりはないし

子宮頸がんや、子宮体がんのリスクがなくなり

生理も生理痛もなくなるなら

子宮取ってもOK!という考えなので

早速、手術しよう!てことになり

調整して来るね!

早速、明日出来るよ!と

トントン拍子に手術決まりました。

 

生まれてからずっと

私の中で頑張ってくれてた

私のパーツ。

手術すると決まってから

寂しい気持ちになりました。

けど

このまま放置していても

役目を終えている胎盤

今は辞めて!て時にズルッと出て来ちゃう、

とか

これから悪い菌を持ってしまって膿んじゃう、とか

いい事ないから

お疲れ様!と言って

子宮とお別れします。

 

辛い、重い生理痛も

もう感じる事が出来なくなるんだ。

ちょっと寂しい。

 

 

また入院①動脈塞栓術

流産で、

お産のための入院1週間を終え

火葬を終え

2日後くらいから出血が酷くなり

3日めに病院へ行き

そのまま入院になってしまいました

(;_;)

 

胎盤が残ってて

この出血と一緒に出てくれないかなー?

とか、都合よく考えてたのですが

MRIやらCTやらをしてみて

どうやら癒着胎盤

その胎盤にアクティブな血管があって

胎盤が剥がれないし

血は止まらない、ていう

かなりやな感じ(;_;)

元々貧血気味ではない私も

さすがに貧血の数値悪くなってきてて

即入院、

しかも、即止血のための手術。

 

動脈塞栓術やりましたよ(;_;)

↑どういう手術というと

腰の辺に局所麻酔をかけて

太い血管からカテーテルをいれて

子宮内のアクティブでいて欲しくない血管を

塞いで血流を止める手術。

 

まず、全身麻酔でお願いしたいわ(;_;)

局所麻酔だと意識あるから、

術中ずっと怖かったし

そもそも麻酔の注射が痛かったし

痛みも出たし、

右の腰の方が1時間以上かかって長かったのに、まさか左の腰からもやらないよね?って

答え怖すぎて聞けなかった(;_;)

右の腰終わって、

「終わりましたよ」と言われた時の

安堵感半端なかった!

全部で2時間少しくらいだったかな、

恐ろしい時間でした。

 

血が止まったのはよかったけど

夜通しずーーんと重い生理痛の痛みで眠れず。

痛み止めの点滴を懇願し

ほんとにキツい夜でした。

 

 

 

 

火葬

夏の終わりの日

朝、病院の霊安室

子供を迎えに行きました。

 

受付の方が、ナースセンターに連絡をされ

子供を産んだ時立ち会ってくれた

お世話になった看護師さんが

最後のお別れに来てくれました。

小さな棺、

というか書類整理の箱みたいな箱に

折り紙の鶴と、

布でお布団のようにしてもらって

まだまだ小さい小さい私の娘は

目を閉じていました。

綺麗な手をしてますね、と

看護師さんが産後すぐ見せてくれましたが

もう指先は乾いてしまって

あまり綺麗ではなくなってしまいました。

が、記念に

両親の指と娘の手を

写真に撮りました。

 

 

早くに火葬場に着きました。

胎児は朝イチの火力が弱い時間じゃないと

骨が残らなかったりするそうです。

その日は雨。

買っておいた夏の花を

娘の小さな棺に並べました。

お花がお顔よりずっと大きい。

 

時間になって

申し込み、支払いを済ませて

火葬する場所は案内され

5分ほど、

最後のお別れの時間をもらいました。

私に貴重な体験をさせてくれてありがとう。

ちゃんと育ててあげられなくてごめんね。

いつか私が死んだ時

今まで見送った動物たちと一緒に

私を迎えてね、とお話しました。

 

箱のまま 自動で扉が閉まり

20ー30分後にお呼び出ししますので

それまでお待ち下さい、とのこと。

呼び出しが1番で入りました。

焼け残りは、ほとんどが灰。

大きな骨は目視でよく分からなかったです。

つまめる骨がなかったので

担当者がチリトリのようなもので

灰を集めて、骨壷に納めてくれました。

その時、コツンという音がしたので

一欠片だけ、骨がのこったようでした。

小さかったからね、

よく残ってくれた。

 

お骨になってやっと

うちに連れてくることが出来ました。

生きて

連れてきて

子育て奮闘するはずだったのにな。

納骨するか、このままウチに置くかは

まだ決めてません。

 

火葬は、葬儀屋を通しませんでした。

病院が出してくれる死亡診断書をもらい

それを役所に持っていき

火葬場の予約を入れた上

火葬許可証を申請しました。

書類発行は無料。

火葬費用は胎児なので2400円。

病院での保管費用もかからなかったので助かりました。

自分で用意した骨壷 1800円ほどと合わせて

5000円以下で火葬出来ました。

 

冬に出産予定でしたが

夏に全てを終えました。

 

 

流産しました

安定期を過ぎたので

知人に少しだけ報告してたんですけど

残念ながら18週で流産です。

 

診察でエコー見たら

心臓が動いてないと言われた、、

と言う方のブログを読んだことがあって、

そんな事あるんだなーって思ってたんです。

自分にも起きてしまった。

全く同じでした。

違うのは

私の場合、これが最後だ、ってこと。

今後妊活はしない予定です。

流産の処置は、

以前経験のある、搔爬ではなく

ラミナリア を使って子宮口を広げて

陣痛を誘発させて

出産する方法です。

死産とわかって、いきんで産むんです。

残酷ですけど、

私にとって最初で最後の出産経験。 

貴重な経験させてもらいました。

 

詳しくはまた。

結婚してからのこと①

旦那さんは3つ歳上。

30過ぎて結婚しました。

 

仕事が一段落したところで

いつ授かってもいい!

というタイミングでの結婚だったので

結婚→妊娠→子育て→また仕事復帰

というプランを描いていました

 

ところが

2年経っても授からず。

基礎体温とか、ズボラな私は付けておらず

なんとなく生理後2週間くらいを狙う、

くらいの事しかしていませんでした。

 

仕事を長いことしてたので

自分の稼ぎで自分の物を買う事が

当然と思ってて

旦那さんのお金を自分に使いたくなくて

でも貯金がどんどん減っていく事に

非常にあせりを感じていました。

 

そんな時に

アルバイト先で正社員になる話が出て

社員になってすぐ

産休になったら申し訳ないなぁ

でも

これも縁だし

お金もなくなってきたし

社員になる事にしました

 

 

42歳で妊婦になりました

私は42歳で妊婦になりました。

高齢出産、というやつですね。

色々あってここまで来ました。

今までのこと、これからの事

自分の記録として &

同じように高齢出産を予定してる方や

不妊治療に頑張っている方に

情報共有出来たらと思い、

書き残していきます